お別れ
ここがすき。
やっぱり私は ここがすきだ って
しみじみ噛みしめた4日間。
義母とのお別れに 大分に帰った。
昔は一年に何度も帰っていた夫の実家。
子どもたちが大きくなるにつれ、予定が全く合わなくなり
大分までの移動にかかる経費も大きくなり、こちらも年を重ね
5人揃って帰ったのはいつだったか、思い出せないくらい。
私が最後に母に会ったのは、もう3年前。
娘の結婚式に横浜に来ることも叶わず、思えばもう3年も
そう 3年も 会えてなかったのだ。
(一年の短さを痛感)
最後の時を兄と姉とその家族が看取ってくれました。
ずーっと 家で介護してくれていたのです。とても手厚く。
危篤の連絡を受けても、駆け戻ることもできず。
早朝に出発しても、出棺に間に合うのかギリギリで戻った私たちを
母は静かに迎えてくれた。
見覚えのある着物を着せてもらって お化粧も綺麗に整えられて
穏やかに眠るように布団の中の母。
情けなくて合わせる顔もなく ただ申し訳なく そっと枕元に座る私に
『おお やっと来たんか。なんとか間に合うて よかったな』…と
そう言ってくれたのだろうか。
あんまり私が泣くものだから、姉が気を使ってくれて…(みんなに気を使わせてしまうばかり)
『真紀さん 着物を直してやって』…と。
久しぶりに触れた母のからだは 小さく 冷たかったけれど
母の尊厳に溢れ 紛れもなく母だった。
その晩 最後にそばにいられなかった、私たち家族ともうひと家族
孫4 人とひ孫1人を含む7人で母のそばに泊まることになった。
みなさんが帰られ、わずかばかりの片付けが終わると、3年生のひ孫ちゃんのショーが始まった。
なんと、アバの名曲を3曲、踊りながら歌ってくれた。
そのうまいこと チャーミングなこと🌟すごかっっった🌟
この最高のステージを いちばん喜んだのは 言うまでもなく母だったでしょう。
夜は更にふけ、布団を重ね合うように床についた…途端
私は気を失ったみたいに 爆睡。。。
ほんっとに 何ちゅう嫁だ!
けれど
朝目覚めた時、昨夜までのひりひりジリジリと焼けるようだった胸が
スーッと 穏やかな安らぎ に 包まれていた。
やっぱり母はあの時
『おお やーっと来たんか。なんとか間に合うて よかったな』…と
そう言ってくれたんだ。
大いなる ゆるし。
お母さん
ただただお世話になり 助けていただいた30年間でした。
いったい何箱の荷物を送っていただいたことでしょう。
美味しい手作りの品々。
魚 みかん ポンカン お味噌 ごまだし それにお餅。
お母さんのあんこ餅より美味しい食べ物を知りません。
本当に 本当に ありがとうございました。
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posted: 2018.12.03