石巻市立北上中学校の合唱祭
2011年10月29日 専修大学OB会の方々をはじめ、たくさんの方々にお支えいただき、石巻市立北上中学校の合唱祭のゲストとしてコンサートをさせていただきました。始まるまでは本当に緊張しましたが、始まってしまえばいつも通り、中学生と、その後ろの席のご家族や近くの仮設に住んでいらっしゃる方々と、楽しい時間を過ごしました。そしていよいよ『祈り』を歌う時が。この時ばかりはまた緊張に震えましたが、ともかく全身全霊をかけて歌いました。歌い始めてすぐ、後部席にいらした方が連れ立っておふたり、帰って行かれるのが見えました。ああやっぱり、この曲は悲しすぎて聴きたくないんだ。そう思いながらも歌っていると、ゴーーーッという地響きがして、びりびり床がうなり始めたのです。
えっ?今ここで地震?私は心底驚きました。実は4月に初めてこの曲をコンサートで歌った時も、その時と全く同じように、同じ歌詞のあたりで震度3の地震が起こったのです。その時私は、魂だけになったなった方々が『ここにいるぞ。ここで聴いているぞ!』と大地を揺らして存在を示されたように感じたのです。それから半年後、北上中学校の体育館で、また同じように震度3の地震が本当に起こるとは!生徒たちの中には立ち上がって先生の方を見る子もいました。どうしよう?でも私には確信がありました。大丈夫。この地震は止む。ちゃんと最後まで歌わせてくれると。やがて歌が大サビになる頃には穏やかに静まったのです。これは本当に一生忘れる事の出来ない経験です。『おまえ、みんなここで聴いているぞ!この歌を歌うなら、本気でやれよ!中途半端はゆるさないぞ!』そう釘を刺されたのです。ああこれはもう、後戻りはできない。そう覚悟を決めた瞬間でした。
コンサートが終わると、お母さんたちが駆け寄ってきてくださり、涙がでた、すごくよかった!と、握手をしたまま10分以上離さずにいらっしゃる方もあり、随分たってからやっと子どもたちの番が来る…。そんな感じでとても歓迎してくださいました。少しはお役にたてたようでとてもほっとしました。ところが、翌年の3月、生徒たちに合唱指導をするため再び訪れた時は、前回とはちがう空気だったのです。先生方はとても疲れてイライラしていらっしゃるようでした。『もう毎日こんななんです。次から次にボランティアの人が押し寄せて、普通の授業が遅れてしまうんです。』と。力を抜くための体操と深い呼吸の練習をしてみると、みんな体がカチカチで、呼吸も浅く、深く呼吸しようとするとむせてしまう状態。大人もこどもも心底疲れている。でもその中でこどもたちは不自然なほど明るく、がんばりすぎているんだとしみじみ感じました。私は予定を変更し、授業に負担がかからないよう、卒業式のための合唱練習にきりかえ、『旅立ちの日に』をみんなで練習しました。どれだけのことができたかわかりませんが、だんだんと声が大きくなり、のびやかにほがらかに歌うことが出来たように思います。
あれから随分通ってきましたが(学校だけではなく仮設住宅などに)、人々の疲れといらだちは、あまり改善されていないようです。避難所から仮設住宅へ、そこから今度は復興住宅へと、やっとの思いで築いた地域との関係をゼロからやり直さなければならない大変さ。お店を再建しても、人が住まなくなってお客さんが来ないこと。家を建て直そうにもかさ上げ工事が終わるのはいつのことやらわからない。高齢の方の再就職はなく、若者は仕事を求めて地元から離れてしまう。ダンプカーだらけの騒音や揺れ。東北の中でも、被災していない人々や被害の小さかったところでは風化が進み、近くにいても格差が広がっている事。様々な問題は山積みです。
でもそんな中、各地で高校生たちが立ち上がりはじめました。自分のふるさとで起こったこと、自分が体験したことを、語り部となって話すことで風化を防ぎ、同じ災害、悲しみが繰り返されないよう啓発運動をしようと動き始めたのです。彼らの本当に前向きでひたむきな想いに、頭が下がります。ここに、主の恵み、希望の光が降り注がれることを信じて、どうか共に祈っていただきたいと願っております。次回は、現地で出逢った高校生(現在)をご紹介したいと思っております。
写真は北上中学校の当時の校長 畠山先生
この方に巡り会えなかったら、その後の活動はなかったと思います。
posted: 2017.05.22